サムネイルのアン・ハサウェイがかわいかったので
映画『パッセンジャーズ』を見ました。なんの予備知識もない状態で、動画のサブスクリプションサービスの「サムネイル」一覧から、水色の背景の中に、アン・ハサウェイの美しさが引き立っていたのでパッと目に留まり、なんとなく再生を始めてびっくりしました。「その真相を追ってはいけない」と副題がついてることすら気づいていなかったので、どんな感じのストーリーなんだろう、とおそるおそる見続けていると、ストーリー展開がなんとも不思議。お化け物とか、心霊ものとか苦手なので、そっち系だったらやだなぁ、どこで見るのをやめようかなぁ、と思いながらも、視聴を進めていきました。エリック(パトリック・ウィルソン)という登場人物のクレア(アン・ハサウェイ)への絡み方とかにちょっとイライラしながら、「こういう人苦手だなー」とか、クレアのマンションに住んでいる、トニ(ダイアン・ウィースト)という隣人のストーカーチックな親切さとかも、なーんとなく嫌な感じがして、不可解なストーリー展開の上に、その不可解さがいろいろと重なっていく感じで、「あれ?このストーリー展開についていけていないのはもしかして私だけなのか?」というような不安も募っていきました。
エリックと恋人関係になるクレアに「え?」
私はエリックのクレアを振り回している感じが、とても見ていてハラハラして、どちらかというと不快な気持ちがしていたので、クレアが、エリックと恋仲になるのが「うそでしょ」でした。どんどんグループカウンセリングに参加する人が減っていく経過も、単に「自分にはグループカウンセリングの効果があるとは思えない」と判断してこなくなっただけでしょ、と思っていたので、その辺でも正直なところ、ストーリーが今一つよくわかっていなかったんだな、と思います。犬の鳴き声を神経質なまでに気にするエリックが、家から飛び出して行って、車にひかれる直前で車が止まったり、線路内に入って電車にひかれそうになってひかれないところなども、意味が分からなくてフラストレーションでした。とにかくある瞬間までは、正直に言うと、不快な映画でした。
死を受け入れるプロセスがこんな感じならいいなと感じました
この映画では、すでに死んでいる人が、自分が死んでいることを受け入れていくプロセスが描かれていましたが、人が死を受け入れるときに、その人にとってゆかりのある故人や死んでしまったペットが自分のことを迎えに来てくれて、一緒に出掛けていく、というような感じだったらいいな、と思いました。クレアにとっては、恩師であるペリー(アンドレ・ブラウアー)やトニおばさんだったのですが、彼らが自分よりも先に死んでいることに、その時は気づいていないというのが不思議な感じでした。しかし、この不思議な感じ、実は私自身にも当てはまるのかな、と感じました。というのが、5年ほど前に病気で亡くなった父親が、今も時々夢に出てくるのです。その父が、夢の中ではいつも健康な姿なのですが、夢の中で私は、必ずその健康な状態の父親が、「病気になる前の父」なのか、「病気を克服した父」なのかを確認しているような気がします。父が亡くなった当初、亡くなっていることを口にするのもつらかったのですが、最近では、父が亡くなっていることを事実として(心に負担を感じることなく)説明することができます。その意味で、父の死をすっかり受け入れていると思っていたのですが、夢で何度も父が出てくるのは、もしかしたら、まだどこかで父の死を受け入れられていない自分がいるのかもしれないな、と思いました。
死んだ人が自分が死んだことを受け入れるプロセス(本当のところそんなプロセスがあるかどうかもわからないけど)と、生きている人がその人にとって大切な人の死を受け入れるプロセスは、似ているようでまったく違うことなのかもしれませんが・・・。この映画を見ることによって、自分が死ぬときは自分の死を受け入れてこの世を離れていくことができますように、と思いました。もちろん、自分にとっての「そのとき」は、まだまだ先の話だと信じていますけどね。