STORY STYLE

なんでもない日の普通の光景

ステイホームの日常

外出を控え、人との距離を保ち、飛沫が飛ばないようにマスクをし、食事をするときも話をできるだけしないで静かに素早く食べる・・・。こんなことが推奨される生活がもう1年ぐらい続いています。思い返せば、2020年2月ごろ、武漢の海鮮市場を中心にウイルス性の病気が蔓延しているとか、横浜に寄港したクルーズ船で伝染病が広がっている、とかいうニュースが流れ始めました。情報も経験値もなく、感染した人の数が増えたり、亡くなる人が出たりすると、底知れない恐怖を感じ、「物流が滞り、日用品が足りなくなるのでは」という憶測から、トイレットペーパーやマスク、アルコール消毒液などがネットや町中の店という店から一斉になくなり、一部の人が買い占めたものを高い値段で転売する「転売ヤー」が社会問題になったり、当時の首相が昔の「給食係風」のマスクを国民全員分配布することを実行したり。本当にいろいろなことがありました。

志村けんさんがコロナウイルスで亡くなったというニュースは、大きな喪失感を感じたともに、最先端の医療を受けられたはずであろう有名人がなくなったということに、このウイルスの得体の知れなさを感じ、日本中を震撼させました。勤務先の会社も、割と早めに「在宅勤務を強く推奨」という状態に入り、意外と早い段階から、ほとんど出勤しないスタイルが定着しました。毎日顔を合わせないとできないと思っていたことが、意外にできたり、反対に、やっぱり対面って大切だよね、と思うこと(雑談など)をやるきっかけを知らず知らずのうちに失っていたり。本当にいろんなことが以前の生活から変わりました。

家や家の周辺に滞在する時間が伸びた

どこか遠出することを考えるのもなんとなく気が引けるのは、「日本独特のほかの人の目が気になるから」と結論付けるのは、手っ取り早くて、なんとなくみんなが同意する簡単な理由になるから、だと思うことがあります。本音は、「どこかに行って、もし感染してしまったら、自分が後悔するだろうから」とか「自分が知らないところで感染拡大を助長していたらいやだから」とか、理由はもっと「主観的」なはずだと思っています。それを表現として一ひねりして、「他人がそんな私をみてどう思うかわからないから」と言っているだけだと思います。なんでそんなことになるのかというと、公な場所では「主観的な意見」よりも「客観的な意見を言う」ほうが望ましいと考える傾向があるからでしょうか。こんなことを考えるのも、最近英会話でいろんな国の先生とフリートークする中で、よく、”I prefer A to B ,because ~”というような形で、必ず何かしらそう思う(考える)理由を述べてようやく聞き手が納得する会話が成立するなと、改めて感じるからです。日本語だと「私は〇〇のほうが好き」だけでいったん成立し、その先に聞き手が理由を聞きたければ「なんで?」と聞き、それを聞かれることを前提に文章を切っている気もするからです。聞かれたら答える、聞かれなければそれ以上言わない。独特なやりとりだな、これはこれで大事にしたいな、と思います。

どこにも行かない分、家や家の周辺に滞在する時間がこれまでになく長くなっています。スーパーやドラッグストアなどに日用品を買いに出るか、家の周りを散歩するか・・・。平日で在宅勤務をしている日など、下手すると家から出ないどころか、食卓を中心に半径5mぐらいの領域だけで、一日の行動が終わってしまう日もあります。共働きなので、これまで平日は、犬だけがお留守番をしている日が多かったのですが、在宅勤務が始まってからは、犬と一緒に過ごせる時間が多くなったことと、犬は一日の大半を寝て過ごしていると分かったことは収穫でした。犬は留守中も特に何もしていない、特にうちの老犬はそうだ、ということがよくわかりました。

馬横断注意という標識を掲げる河川敷

写真は、近くの河川敷にあった「馬横断注意」の標識。河川敷を利用した馬の調教場所があり、そのそばを通る道路を横切った先に厩舎があります。実際に道路を馬が横切るシーンをいまだかつて見たことがないですが、こんな都会の一角に、馬が横切る車道があるなんて、ちょっとファンタジーな気がします。

そして、毛布をぐるぐる巻きにした我が家の老犬。15歳を超えた老犬で、本当に穏やかな性格です。イタリアングレーハウンドで、昔はドッグランでものすごく早く走りました。今や、散歩にも出たがらないですが、たまーに食べ物をみて興奮して、まだ50cmくらい飛び上がることがあります。健脚です。